リゾートへ行ったときの話
旅行に行ったと言うにはなんとはなくはばかられますが、しかし旅行に行くことは推奨される。奇妙な今日この頃でありましたが、感染者の急増によりGOTOの年末年始のストップが決まり、いよいよ季節も心身も冬籠もりの心地ですね。私は土日にあった楽しい予定が中止になってふてくされていますし、寒さの為かここ数日ずっと頭が痛いです。
さて、ちょうど一ヶ月だかそのくらい前に石垣島に旅行へ行きました。当時はやはり公に行ってきたよと言うにははばかられましたので、潜伏期間もとうに過ぎた頃にでもレポートしようかな、と考えていた次第です。
沖縄に行くのははじめてでありました。最寄りの空港から石垣空港までの直行便がありましたので、那覇には降りず直接向かったので、本島のことは知らないままです。
地元との温度差は当時10度前後でしたでしょうか。着ていく服が何もわからず右往左往していたのも良い思い出。調べても想像しても皆目検討つかず、結局のところ首回りがよれよれになったシャツを鞄に詰め、現地で捨てるということで落ち着きました。その作戦は功を奏し、軽くなった衣服の分、豆腐のお土産を詰め込むことができたのです。
わたしは生まれも育ちも滋賀ですが、沖縄は認識的にも距離的にも遠い場所です。南の島特有の民俗は、大陸の影響を受けつつも独自の発展を遂げましたし、琉球は長く、日本とは異なる地でありました。そういう訳で民俗学者の中では南の島の調査というのは一種のブームになった時代もあったそうなのですが、今回のわたしは大学卒業後趣味で研究をやっている人間ではなく、ただの国内旅行だいすき一般旅びと、GOTOキャンペーンを駆使し、のんびりとした場所へ行こうというのが動機でありまして、生まれてはじめてリゾートホテルなるものに泊まることになり、沖縄で食べれる飯のことを考えてウキウキと胸を膨らませておりました。
石垣島には色々なものが存在します。そして行き来する人もとても多い、いわゆる人気な観光地であります。思うに、「ここではないどこか」へ連れて行ってほしい、と願った時に、気候と風土が異なるが言葉が通じる場所、というのは、日本人にとってストレスが少なく沖縄という場は観光地として特に適切なのではないでしょうか。実際のところ、皮膚に照りつける陽光はすでに遠ざかった夏を思い返させ、いま寒気にふるえるあいだにも、あのうなだれるような暑さ、けれども海から吹く涼やかな風が恋いしゅうございます。
ソーキそばやもずくの天ぷら、特に思い出せませんがさまざまな沖縄料理を食べ、沖縄料理と親密になり、ある日は日帰りツアーで竹富島へ渡り、ガラスボートで珊瑚礁を長め、水牛車に乗りました。特に、南国の花は色鮮やかで、砂を敷いた道、低い屋根の上に乗るシーサーの愛らしさ、どこを切り取っても美しい空気を堪能いたしました。
観光客は驚くほどおりました。真夏のシーズンには一体どうなってしまうのか、いや、オフシーズンとはいえGOTO効果だったのでしょうか。わたしが毛嫌いするさまざまなタイプの人間とどこに行っても遭遇するのは少々辟易するところでありましたし、感染症に気を配り続けるのはやや疲れるところであります。船に乗った時、隣に座ったおじさんに「君どこから来たの?俺、いちばん感染者が多いところw」と笑いながら身体を寄せられながら話しかけられ、属するコミュニティが異なればこうも意識が変わるのかと感心しました。できればやめてほしい。GOTOキャンペーンのストップは、ふたたび観光地に打撃を与えてしまうのでしょうか。そしてあのおじさんは今頃どんな風に過ごしているのでしょうか…と、考えても詮無きことでありますが。
さて、生まれてはじめて泊まったリゾートホテルですが、そもそもリゾートとは何ぞやと辞書で調べてみると、「行楽地・保養地」「大勢の人が休暇・余暇を過ごす場所」と書いており、つまり現実の仕事や義務から離れてホテルでぐうたら過ごすのはまさにリゾート中のリゾートを執り行っている訳です。わたしは今回正統なリゾートを果たしたのでしょうし、かなうならば一ヶ月とかそういう単位で休暇したいものです。湯治とかしたい。
リゾートホテルはどこもかしこも南国風情の景観で、お散歩をするだけでも楽しい庭園などがありましたが、そこに勤める従業員の中には、明らかにリゾートバイトに赴いて来ているのであろうと思わされる人が数多くおられました。数ヶ月単位の住み込みで稼ぐことを生業とする方々は、国内だけではなく他国からも訪れている。たどたどしい、まだ働き出して日が浅そうな案内は、ここに経済が循環しうるだけの値打ちが存在しているからだと感じさせられます。深く知っている訳ではないのですが、どうもリゾートバイトなるものがこの世には存在し、要するに出稼ぎでリゾートの労働者となるのです。ふとした瞬間に、観光客も従業員も外部から来ているこの「リゾートホテル」という地が、人の多く行き交う不思議な場所であると感じさせられます。おそらく多くの人が、この地に深く根をおろすわけではなく、現れては立ち去っていく。観光というものによって成り立ち、歓迎されながらも、わたしはこの地にはるか昔にあったものを知ることはできず、しがない保養びととしてホテルでごろごろするのです。完成された美しい景観のその過去や未来、すみずみを知るには、二泊三日のリゾートホテルは不適切であり、ただやすらいだ時を過ごすためにリゾートは存在する。これはいままでのわたしにはなかった旅行のタイプかもしれないと、人生経験ポイントが増えつつも、この土地のことを全く知らない、から、ちょっと知ってる、に昇格したくらいの浅さにどこか悔しさを覚えるのでした。現代は便利ですから、インターネットや図書館で、いくらでも歴史や文化について調べられます。まるでその地に行ったかのように、グーグルマップで歩けます。なぜ旅に出るのかと、わたしはふと考えました。まったく土地勘のない地で、郷愁を疼かせ、陽光を浴びながら、どうしていまここにいるのか、と。
海辺へは三度行きました。滋賀は内陸県で、琵琶湖は淡水湖ですから、どうしてか小さい頃から海に対する念は強く存在しています。まるで、母親のような存在と思うように。季節が季節ですから泳ぐことはできませんが、市街で買ったビーチサンダルで、すこしだけ海の中に入ってもみました。
一度目は夜でした。これは本当の暗闇で、海と空の境目も見えず、携帯の明かりで照らして歩けば、潮は道の際まで満ちていました。その日はおなかいっぱい食べたあとでひどく眠たくって、アスファルトの上に寝ころんで海を眺めました。通りがかる人に踏まれそうだからあまり長くは寝れなかったけれど。寒くもなければ暑くもなく、海は暗闇に沈み込んで見えないけれど、波の音だけがおだやかに聞こえるのが心地よい。海の近くに住む人は、ずっとこの音を聞くのだろう、と思いました。指を伸ばして波をとって、舐めてみると、塩辛いのがおかしかったです。
二度目は天気の良い昼間で、竹富島の海を、迎えの船が来るまでのあいだに向かいました。桟橋から見下ろす海はおどろくほどに透き通って、透明な海をわたしははじめて見、水は本当に光を通すのだと知ることができました。それは透き通る碧で出来ており、海底の石つぶ、泳ぐ魚の色まで肉眼で鮮明に見えのです。手を伸ばせそうな浅瀬に泳ぐ魚群の群れが不思議で、どうしてこんなに近くで泳いでいるのだろう、と眺めていました。日差しは肌を焼いて、それはひどく痛むのですが、海の底まで照らす陽光があんまりにもきれいだから、帰りたくなくて、太陽の下に座り込んでいました。二本足で歩けなくなるほどの、おぼれてしまうほど海のさなかへ行っても、水面はまだ透き通っているのだろうか、と想像してみましたが、きっと帰ってこれなくなるのでしょう。
三度目は夜明け前に目覚め、人気のない海へ。おなじように海辺に座って、太陽の光が空を覆い尽くし、夜が色あせて消えてゆくのを眺めながら、この地で生きる日々を想像してみました。潮風で焼けた壁の家に住み、海の音を聞いて、強い風に髪や服を揺さぶられて、そうして生まれて死んで、生まれることを繰り返すのか。わたしは旅人で、すぐに去ってしまうから、無邪気に日々の想像を巡らせることができるのです。ここにしかない美しいものに囲まれ、保全された景観のなかで生きるのは、どれほど幸福だと思えるのか。
わたしがよくやっていたひとり旅は、その土地に住む人が、目を伏せ困ったように笑って「うちにはなんもないよ」とちいさな声で返すような場所へ行って、その地にあった過去や風景に触れることでした。その、何もない、という言葉に、どこか別の場所と比較した際に見いだされる格差への卑屈な感情がこもっている。けれども、何もないはずはないのです。これは単純な話で、今日まで人が住んでいて、営みがあったという事実には、常に過去が追随するから。わたしは歴史と民俗を何より好んでおり、ショッピングには興味ない、観光名所はものにより、嫌いなものはひとごみ、というような人種ですから、人気な観光地にはあまり赴かず、交通アクセスが不便な場所に喜んで赴くのです。地域活性化、すなわち中央に集中するのではなく、その土地その土地に魅力があり、その魅力をアピールしよう、と、何処の自治体も必死になっている今は、歴史や文化に触れやすく、楽しい旅行が約束されています。だからこそこのコロナ騒ぎで旅に出られないのはとても寂しかったのです。
リゾートははじめての体験で、それはわたしがいままでやっていた旅とはちょっと異なっていて、けれどもこれもこれで良い、と思わせてくれるものでした。違う場所に降りたって、違う生活をするだけで、身体の中に流れる時間がたしかに変わっていくような気がするのです。リゾート地で、わたしはまるでわたしではない、別物になってしまったような心地になって、これが自由、と呼ばれるものなのだろうか?と首を傾げるのです。リゾート旅も悪くない、と思えるのは最高の経験でした。あの時感じたこと、考えたこと、一ヶ月もたてば曖昧になってしまうものですが、竹富島の砂の道や、石垣島の海辺に鳴っていた潮の音は、まだ、身体のどこかに残っている心地がします。長々と書きましたが、とっても楽しかったですし、今度は沖縄本島にも行きたいです。ソーキそばが恋しい。
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