FF7クリアしました

ゲームをクリアするのが下手です。
メインストーリーの途中にあるやりこみ要素を一生やりこんでしまったり、クリア直前で「クリアしたくない…終わりたくない…」とクリア拒否しようとしたり、数ヶ月放置して操作方法もストーリーも忘れたり、そんな計画性のないプレイばかりしてしまうせいで、積んでいるゲームがたくさんあります。深く反省し、未プレイのゲームをたくさんやっていきたいと思っています。本当かな〜?

そんなわけでFF7をクリアしました。のんびりのんびりやってたり、チョコボレースにハマったりしていたらクリアに五ヶ月かかりました。遅い。
switchに移植されたもので、1997年に発売された原点作品です。はじめて触れるファイナルファンタジーシリーズでもありました。
名作と名高く、今日までスピンオフ作品が豊富に作られ、たくさんのゲーム愛好家によって愛され続けた作品だとは認識しています。ということで元々の期待値も高かったのですが、実際自分の手でプレイしてみても、その期待を裏切らない、どころかはるかに上回る作品であったと感じております。特に、クリア後のいま、これから先の未来へ思いを馳せることのできる、質の良い充実感に包まれています。
1997年の最新システムを搭載したとして、2020年の今見れば、張りぼてのように感じるポリゴンや、動かない背景、戦闘のコマンド入力方法等は、もしかすれば「足りない」と言われるような類なのかもしれませんが、わたしにはむしろそれらすべてが、FF7という冒険譚を補強しているように感じられました。たとえば動かない背景の中、どこが道なのかわからない道を歩んでゆくと操作キャラクターの身体が小さくなったり大きくなったりしていく奥行きの表現、吹き出しの位置が下部固定ではないからこそ、登場人物の心境や感情に応じて画面内を縦横無尽に吐き出される台詞は、まるで一冊の漫画を読みふけっているかのようです。特に、表情の動かないポリゴンで感情を伝える為に、腕を振り回したり、頭を抱えたり、最大限の感情表現が、むしろ想像の余地を多分に与えているように感じました。
主人公であるクラウドの心理描写はゲームの核となる部分であり、なぜなら彼は完全無敵の強い人間ではなく、むしろその真逆であることがゲームが展開していくごとに湿されていくのですが、そんな、彼の感じる違和感や悲痛な絶望が、「描かれすぎない」からこそ如実に伝わって来るように感じました。これはただ単に、わたしがゲームに不慣れなだけかもしれないけれど…。

物語について。
主要キャラクターの名前や顔はなんとなく知っていて、パブリックイメージで、クラウドは厨二っぽい、ティファは元気な女の子でエアリスはその逆で…と、覚えていました。が、プレイしていくにつれてそのイメージのことごとくが打ち破られていくというか、実際にはもっと複雑で、もっと繊細であることに何度も驚かされました。クラウドは自信がない、ティファは意外と不安が大きくて、エアリスはたくましくて…特に、重大な秘密が明かされていく過程はどこかサスペンスじみていて、映画を見ているようなはらはら感がありました。
この物語には、イメージの中にあった、ボーイミーツガール、あるいは世界を華々しく救う英雄の物語などどこにもなく、元気も自信もない少年や、後ろめたい思いで少年の手を握る少女、己の中にある怒りや悲しみをぶつける場所を探してさまよう男の苦難がありました。要所要所のシーンで、その優しさと残酷さに涙してしまい、彼らに幸福であってほしいと心の底から祈ってやみませんでした。純粋悪が存在せず、また、完璧に善な人間も居なかったように思えます。みんなが等身大で、世界を愛し、世界を憎んで生きていた。星の力を借りて人として生きようと、あるいは星を守ろうとして、もしくはたったひとりの誰かの尊厳を抱きしめようとして。
最初にクラウドを見たときに、その担いだ剣の大きさや台詞回しに「遠い人間だ」と漠然と考えていましたが、だんだんと近づいていったように思います。クラウドを抱きしめる少女たちを見るたびに、彼が孤独でないことに何度も救われました。

FF7は王道のように見えてまったく異端であると感じる物語でした。わたしはゲーム史はとんと存じないのですが、FF7という物語は今日触れても最先端であると感じられると思います。それぞれのキャラクターの役割も、さまざまな街での出会いや別れも、すべてが温かく、寂しく、美しかった。狭く行き場のないミッドガルからはじまり、最後はミッドガルに帰るのも象徴的だし、わたしはニベルハイムがステージの中で一番好きです。いくたびに印象が変わる場所。

この物語には派生作品がたくさんでています。リメイクも。けれどもこのゲームをクリアした今、それらに触れることに躊躇する気持ちもあります。たとえば確信部分であるザックスや新羅の物語は本編中ではほとんど触れられなかったのですから、見てみることでまた印象が変わるのでしょうが…。先にも述べたように「描写しすぎていない」からこそ想像するしかなかったものたちが、鮮明にあかされてしまうことでイメージが変わってしまうのが少し怖いのかもしれません。あの教会、炎をあげる故郷、さまざまな場所に生きていた彼らの表情が鮮明になることが…特に、クラウドに対してティファやエアリスがどんな表情を浮かべていたのか、何を思っていたのかを、仕草のひとつひとつに察してしまうのがなんだかもったいないような気がして…いまはクリア直後だからそんな風に思うのかもしれませんが。ライフストリームの鮮烈な光、星に祈りを捧げて死んでいった彼女の微笑みが、ずっと脳裏に焼き付いています。もうしばらくは、この先を知らなくても良いかな、と、大きく息を吐きたくなるほど心地の良い物語でした。

次はFF15をやるぞ〜!